プロフィール
会社概要

代表者プロフィール

代表・PRマーケター
伊藤宗一郎(いとうそういちろう)

1957年生まれ 福岡県北九州市出身 日本大学法学部卒。
1982年米国ノースダコタ州 ジェームスタウン大学ビジネス管理学部卒。

大学卒業後 食品メーカーにて販売管理や貿易、販促業務を担当。

1989年より広告代理店にて、酒類やペットフード、菓子、航空会社、アイスクリーム、タバコ、通信インフラ会社のマーケティングやブランディング業務を担当。

広告代理店数社を経て大手小売りチェーン店のマーケティング部長、大型店舗内販促会社の日本支社長を歴任。外資系企業の日本支社長時に提供サービスのオリジナル性や利点がトップ営業により認知され、店舗の拡大とともに売上と利益を2倍にする。

2017年、中小企業は良い商品やサービスを提供しているのに大手に比べ認知度・信用度が低いからこそ、マスコミ取材を通じ社会に知らしめるべきという信念のもと、社会性のある中小企業の商品・サービスをPRによるブランディングやネットマーケティングで社会に広める事業を開始し独立。

伊藤宗一郎 職務経歴

1983年〜1988年
東証一部上場の食品メーカーに就職
アメリカの大学を出て、俺は特別だーー!のマウント意識ありあり社会人に。アメリカの中でも驚くべき田舎の大学で、アメリカの大学にしては緩やかだったけど、日本人はその違いをわからないので、何気に自慢したがっていた。

最初の配属先は本社。優秀な俺だから当然じゃん!と思って舐めて仕事していた。5年目に大阪の営業への転勤指示が! えー!エリート(死語)の俺がなんで、大阪に!しかも営業に!(大阪と営業の皆さん、ごめんなさい!大好きです)と退職し、職探し。

1988年〜2001年
以前のお取引先のご紹介で、準大手の広告代理店に就職。外資系のクライアントの広告企画や、メディアプランニング、新商品企画を担当。
担当した業界では新商品のコンセプト開発やメニュー開発を行い提案。消費者調査やパッケージ開発、PR会社や、クライアントの新任ブランドマネージャーへのブリーフィングも担当。

最も成功した新商品開発で、ブランドシェアは3%増加し25%となり、数億円の売り上げ増で、市場首位の座を守る!

新商品コンセプトを開発して、調査をして、パッケージづくり、広告作り、売り場のPOP作り市場に投入して反応をみるという一連の流れをどんどんやっていた。このころは無我夢中、振り返るととっても楽しかったと思える時期だった。

しばらくして、別の外資系の広告代理店と合併。以前の会社は田舎っぽくて温かみがあったが、新しい外資系の会社の上層部の人たちの言っていることが宇宙語に聞こえ理解不能に。競合のコンペにも破れ、居づらくなり、退社。ここから私の転職しては解雇の転職・解雇仕事人生が始まる!

2001年7月‐10月
外資系広告代理店に入社
グローバル企業の広告担当の営業責任者で入社。数カ月でクライアントからダメ出しがあり。4ヶ月で解雇! 早いっ!

その後も契約でマーケティング担当として入った会社でも数カ月で解雇。
俺はダメだーー! 会社員には向いてないーー!となり。飲食店として独立する!とやったこともないのに計画だけ立てて、遊んでいた。飲食店を立ち上げていたら、確実にダメでしたね!

2003年8月‐2004年4月
知り合いのネイティブイングリッシュスピーカーが部門責任者をやっていた外資系広告代理店に入社させてもらう。ずーっとプー太郎同然の生活をしていたので、妻が泣いて喜んでくれた。それもつかの間の・・・・

グローバルの契約が解除となり、日本を含むグローバルチーム員全員が会社都合により退職。その前に私だけクライアントからダメ出しで解雇だったのだが、私だけ解雇の前にチームが解散になったので、会社都合でチーム全員解雇。で、やっぱり解雇じゃん!

2004年8月‐2006年7月
グローバルなチェーンストアのマーケティング部長として入社。インターネットによる広告やDM会員組織づくりが勃興してきた時期で、いち早くカード会員組織づくりをリードした。広告の費用を一億円近く削減し制作過程を大幅に効率化。かなり有名な会社だったので、俺はやっぱりすごい!とマウント取っていた。相変わらずアホ。ここでも偉そうにして、仕事をサボっていて、主力部門の売上が落ち込み。お前ができないからで会社都合で解雇。4社目です!

2006年12月‐2007年7月
小さなセールスプロモーション会社で全国チェーン店の販促プロモーションの企画や販促グッズ作りを担当。
商品企画や広告企画づくりができると勘違いして入社。実際は販促グッズの企画の企画提案と営業。根性営業のやり方について行けず、逃げるように退社。

2007年10月‐2013年7月

外資系の大型店舗の店内実演専門会社の営業マネージャーとして転職。
その後、アメリカ人の日本支社長がアメリカに帰りたいと言うので、その後釜として日本支社長に!

日本支社長になってから、取引先のトップや責任者とのトップ営業を継続的に行う。結果として2009年から2013年の間に売上と利益は2倍以上とする。
調子に乗って、本社の方針は日本のやり方に合わないと主張し、ある程度好きにやっていた。

アメリカ本社からは頑固で自分のやり方を曲げない頑固者と思われていたようだ。グローバルで360度人事評価を実施。これは部下が上司の評価をするもの。
結果は世界中の支社の中で日本の経営陣の評価は最低。日本人は真面目だから、真面目に辛辣に上司のことを評価するのよね! そりゃ確かに!日本支社長として評価が低いことに思い当たる節はいっぱいありましたよ! そしてUS本社に評価が届く。日本の支社長としてリーダーシップがない、能力がない、解消できなかったとして、解雇。5回目だ!

2014年4月‐2015年2月
お土産店舗2店舗の責任者として就職。
店内実演会社の経験が買われたのか? お店の前の道をそぞろ歩きお客さんをにどうしたら店内に呼び込めるのか、声の出し方や見せ方を毎日考えて実行。

相手の目をみて、目の前の人に親しみを込めて呼びかける。美味しい商品のキーワードを一言だけで。呼び込む。

一人一人お客さんを呼び込むが、入店いただいて売上増になるが、リアル店舗でもがく日々が続く。

土日祝日が常に勤務日となり、年末年始も11連勤。家族との時間がとれなくなり、普通のおじさんになりたいと思い、普通の会社かと思った会社に転職するために退社。

同時期に面接を受けていた商事会社に再度応募、内定を得て転職。

2015年‐2017年
商事会社で営業の電話や製品案内づくり、担当を持って売り込みの連絡。
本気で戦ってない。本気で戦える場ではない。
貢献できていないことは理解していた。そしたら移動となり、会社都合で解雇で退職。6社目!

2017年
独立を決意して、中高年の転職のベルコリンズ研究所の2ヶ月転職達成プログラムのノウハウを得て、転職のコンサルを提供開始。何しろ私は、転職回数と解雇の回数ではエキスパート!なので。 集客のためにYouTubeチャンネルを数千本投下する。

9社転職して、6社で解雇になったのは、自分で自分のことを諦めていたことに気づく。本当はやった方が良いとわかっているのに100%やらず、少しやったらこの辺で良いだろうとサボる、手を抜く。

そのくせに俺には特別な才能があるんだと思いそこに逃げる、儲かってないのに儲かっている社長のふりをする。

こんなことばっかりやって、実行しないし、自分のことばかり優先で、部下や組織のことは考えない。これでは結果が出ないし、組織を運営できない。解雇されることや仕事で大きな実績ができない、継続しないのももっとだ!!とわかる。だから上手く行っていない時は上手く行ってなかったんだーー!と気づく。

本当は人に貢献したいし喜ばれたい、面白い企画を創り売れて感謝されるのが俺だ!と、自分の仕事の姿勢や目的を見つめ直し、創り直した。

そして相手の企業の利益に貢献する、感謝されるを提案するし、愛と感謝を届ける、信頼できる仲間と仕事をする!という気持ちになり、相手の役に立つ情報や人を紹介するようになった。今までだったら、変に思われると思い提案しなかったり、紹介を依頼しなかったのが、積極的に提案するようになった。

そうして始め、創ったのがこちら。

広告代理店の時に広告と広報を両方やっていたが、中小企業は広告は行なっているが、広報をやっていない。
ネット広告やネット集客のためのSNS投稿に力を入れている企業は、マスコミ取材の実績があると、集客の参加率や成約率が上がることがわかってきた。

そこで、マスコミ取材を継続的に獲得する方法を、中小・零細企業や個人事業主に提供を開始。

集客のためのネット広告、SNS投稿に力を入れている企業は、マスコミ取材の実勢があると効果が数倍になる。そこでネット集客のプロ、森山さんと「ネット集客の方法とマスコミ取材獲得のノウハウを6ヶ月で習得して、売上を大幅にアップする養成講座をスタートすることに。今、その準備中!

そしてもう一つ、3年前に企画して市場に出していなかったサービスやアイテムを、「女性の愛と承認で経営者を元気にし、日本を明るくするアマテラスプロジェクト」として、日本でロウンチすることになった。

これも思い切って提案したら、面白いと言ってくれた森山さんが協力してくれる人を次々に紹介してくれて、私も仲間を誘い市場投入することになった。こちらも近く日本で発表します!

【伊藤宗一郎の好きなもの】
スキー:尾瀬岩倉、海水浴:神奈川県 荒井浜、静岡県 ヒリゾ浜、沖縄 宮古島 新城ビーチ、伊勢神宮参拝:伊雑宮→外宮→内宮の順番、散歩のようなジョギング、サザン・オールスターズ、好きな作家:青山繁晴、小林正観、伊勢白山道、マニュアル車の運転
先祖供養:毎日線香3本
聡明で愛と貢献のビジョンを持った女性=表情が美しい!
日本酒:神亀、ワインはブルゴーニュが好きだったが、コロナ陽性で療養期間が終わった後、肉類や脂っこいものが食べたくなくなり、お酒やコーヒーも飲みたくなくビーガンになっちゃった! その影響でお腹まわりがすっきりに!お酒飲まないので、仕事する時間が増えて諦めなくなった! コロナは食の嗜好や生き方も変えるのか?

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株式会社オフィス伊藤ブラザース設立まで、設立後の沿革

1988年-2004年 広告代理店数社にて、広告制作指示、メディアプラン作成、新商品・新商品コンセプトの開発に従事。数億円売上増のヒット商品を開発

2004年-2006年 大手小売りチェーン店で会員組織の構築、ポイントカードの立場げを行う。継続的に前年対比来店客増、売上増を達成する。

2007年〜2013年 大型小売店舗の店内販促部門が、売上高過去最高利益を継続して獲得。

2017年 オフィス伊藤ブラザースとしで独立
2019年 法人化 株式会社オフィス伊藤ブラザース
2022年 女性の愛や承認で中小企業の社長を元気にする、アマテラスプロジェクト 開始

(株)オフィス伊藤ブラザース スタッフ

PRマーケティングプランナー
松田拓(まつだたく)

1963年生まれ 東京都世田谷区出身 中央大学経済学部経済学科卒業。

大学卒業後、シティバングに入行。個人金融部門にて24時間ATMサービス、インターナショナルキャッシュカード等、最先端の金融サービスの日本導入プロジェクトに参画。

1995年、広告会社に転職。プランナーとしてP&G、SONY、外資系自動車ブランド、洋酒ブランド、エンターテインメントブランド等を担当。

2002年より、ミツカン、キユーピー、カルビー等の新規事業開発、商品開発、事業再生、IMC、PR等の戦略コンサルティングを担当。2014年独立。カルビーシリアル事業再生プロジェクトでは、PRを活用したマーケティングモデルを設計・実行し、フルグラ事業本部の売上を10倍に成長させる。

現在は、PRを中心とした戦略コンサルティングや、マーケティングディレクターとして企業における役割を担う一方で、国公立大学、私立大学にて、マーケティングコミュニケーション戦略論の講師として教鞭に立ち、後進の育成に従事。

PRマーケティングプランナー
松田拓(まつだたく)

1963年生まれ 東京都世田谷区出身 中央大学経済学部経済学科卒業。

大学卒業後、シティバングに入行。個人金融部門にて24時間ATMサービス、インターナショナルキャッシュカード等、最先端の金融サービスの日本導入プロジェクトに参画。

1995年、広告会社に転職。プランナーとしてP&G、SONY、外資系自動車ブランド、洋酒ブランド、エンターテインメントブランド等を担当。

2002年より、ミツカン、キユーピー、カルビー等の新規事業開発、商品開発、事業再生、IMC、PR等の戦略コンサルティングを担当。2014年独立。カルビーシリアル事業再生プロジェクトでは、PRを活用したマーケティングモデルを設計・実行し、フルグラ事業本部の売上を10倍に成長させる。

現在は、PRを中心とした戦略コンサルティングや、マーケティングディレクターとして企業における役割を担う一方で、国公立大学、私立大学にて、マーケティングコミュニケーション戦略論の講師として教鞭に立ち、後進の育成に従事。

PRマーケッター
クリエイティブディレクター
井上伸夫(いのうえのぶお)

1957年生まれ 山形県上山市出身 立命館大学文学部哲学科卒業。

ネーミングの第一人者岩永喜弘氏に師事後、広告学校校長黒須田伸次郎氏の元から博報堂にコピーライターとして5年間出向し、広告企画制作に携わる。
その後フリーとして自動車業界、大手商業施設、コンピュータ業界などのブランディング、広告など多数制作し、コンピュータプロジェクトチームでは博報堂社長賞も獲得。

3.11を期に、そのスキルを生かして、環境・オーガニック・地域経済循環に携わる事業のマーケティングコミュニケーションの支援をスタート。国連・赤十字センター・NPOなどの企画を手掛ける中で、社会に知られるべき商品・サービスを提供する小さな会社が、予算不足から知名度をあげられずにいることにもどかしさを感じ、中小ベンチャーに特化したPR活用によるブランディングマーケティングを開始。日本ネーミング協会会員

PRマーケター
藤野晴久(ふじのはるひさ)

1975年生

大学卒業後、不動産業界、飲食業界をへて、2004年、総合食品商社に転職。社長室・経営企画室にて、新規事業の立ち上げ、実行支援の他、複数の業務改革プロジェクトのPM担当。2018年プロジェクトマネジメントの専門会社に転職。他社の業務改革プロジェクトに従事。プロジェクトマネジャーとして業務改革の仕事をする中、経営者の方々が口にする「業務改革の前に売上ありき!」という厳然たる事実を前に、業務改革が必要なのに導入できないジレンマを抱える中でPRマーケティングと出会う。PRマーケティングで中小企業の良い商品・サービスを社会に広める事業に専念するべく独立。

「クライアント様の売上に貢献し、業務改革を推進して、従業員の方々を笑顔にする」を原点にPRマーケッターとしてクライアント様とマスメディア、消費者との架け橋になるべく活動中。

PRマーケター
藤野晴久(ふじのはるひさ)

1975年生

大学卒業後、不動産業界、飲食業界をへて、2004年、総合食品商社に転職。社長室・経営企画室にて、新規事業の立ち上げ、実行支援の他、複数の業務改革プロジェクトのPM担当。2018年プロジェクトマネジメントの専門会社に転職。他社の業務改革プロジェクトに従事。プロジェクトマネジャーとして業務改革の仕事をする中、経営者の方々が口にする「業務改革の前に売上ありき!」という厳然たる事実を前に、業務改革が必要なのに導入できないジレンマを抱える中でPRマーケティングと出会う。PRマーケティングで中小企業の良い商品・サービスを社会に広める事業に専念するべく独立。

「クライアント様の売上に貢献し、業務改革を推進して、従業員の方々を笑顔にする」を原点にPRマーケッターとしてクライアント様とマスメディア、消費者との架け橋になるべく活動中。

オフィス伊藤ブラザースの
事業ミッションとビジョン

ミッション

中小企業は社会に役立つ商品やサービスを提供していますが、大手に比べ知名度・信用度が低いため広まっていきません。
そこで、中小企業の社会性のある商品やサービスを、マスコミ取材を通じ信用度を上げ社会に羽ばたくお手伝いをします!

社会性のある商品やサービスを企画・プロデュースし、PRにより信用を得てマーケティング(集客)し社会に広めます。

ビジョン

社会性のある商品やサービスを提供する中小企業が信頼を得て知名度が上がり、売上が継続して増加し成長していくのを見て喜ぶこと。
自由に楽しく働く兄弟・姉妹のような仲間・ブラザースを1,000人にする。

会社概要

1.会社名
株式会社オフィス伊藤ブラザース 英文名Office Ito Brothers Corp.

2.設立
2017年11月事業開始、2019年4月株式会社設立

3.所在地
本社 〒102-0074東京都千代田区九段南1-5-6 りそな九段ビル5F KSフロア

4.資本金
3,000,000円

5.代表者
代表取締役 伊藤宗一郎

6.事業内容
・PR マーケティング: マスコミ取材獲得支援
・ネット戦略コンサルティング
・社会性のある商品及びサービスのプロデュース、ブランディング、マーケティング

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2019.11.26
”「妄想キス!グラス」株式会社シンフォニアを通じてアイドルプロダクションへ紹介開始!”

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